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アメリカで塾を再びするようになったいきさつ

  • ゲキタイマン
  • 2024年3月24日
  • 読了時間: 4分

更新日:2024年4月16日


1年もすれば自分の生活圏での生活にも慣れて5年生終わりにはHarvest校からSt.Paul校へ転校し気楽な日常を過ごしていました。

息子も中2年になった頃に日本人補習校の校長が度々我が家にやって来るようになりました。別にこれといった話はなかったのですがある時外食に誘われました。改まって何だろうと思って行って見ると「学校のクラス担任をしてもらえないか」ということでした。多分誰かから以前は塾で教えていたと聞いたのだろうと思います。聞けば、先生が足りないのでクラス編成が出来ないから土曜日だけでも良いから受けて欲しいもうすでに名前を入れてPCにアップしてしまったからお願いしますということでした。「え~」という感じでした。

手伝うのはいいけどE-2ビザなのでLビザでないので他の会社や職場で働いて給料を受け取ることは出来ないよ。やるならボランティアになるけどそれでいいなら考えてみますと返事しました。

 

 

この事がご縁で日常的に校長の相談にのるという日常が続きました。結構ビックリすることが多くて例えば、日本人学校及び日本人補習校は中学で終了するのでこの先の進路をなんとか学校で見つけてあげたいのだけど現地にも日本の高校にもルートがないのでなすすべがないので今までは各家庭がそれぞれ探していたということでした。

 

 

子供達の進路先のルートは現地校に進む(日本人学校では英語を日本の授業通りするので現地とリレーションが無い限り英語は出来ない)か日本に戻って日本の高校に進むかの選択肢になります。日本の高校に進むにしても日本人学校の成績評価をどう受け取るかどのような手続きをするか全く知らなかったということでビックリでした。「こんな状況で日本に返したらめちゃくちゃ不利になるじゃんか」

ということで「ここは引き受けたろ。やってあげるわ

日本の教育委員会にも知り合いがいてるし大阪本町の帰国生専門塾の塾長をしてた時関西の大学の先生方を招いてパーティーしたので大概は連絡取れるし関東圏もじかに希望する学校と連絡取れるし大丈夫だよと伝えました。

また現地校は息子の通っているSt. Paul校の校長に日本人学校卒業の生徒を受け入れてくれるように話してくるので多分大丈夫だから心配しなくていいよといって学校に行って校長と話したらすんなりOKをもらいました。英語の不十分さは大丈夫!別クラスから進めるからということでした。あと立命館大とも連携してるからここにはにいけるからいざというときの進学先はあるからいいかということで。

 

 

私達が日本に帰ってその後塾生が日本に戻ってきたとき聞いたら「先生が開いたルートが凄く人気になっていて日本人の希望者が多すぎて今は人数制限がかかっているという事を言われました。」St Paul から慶應・ICU・上智・青学というルートが完成してしまっていました。

当然こういう結果を残すには受験に対する勉強もしなければなりません。相手の学校が望むようなスキルを身に付けとかなければなりません。これは学校で教えることは無理なので夕方から自宅で教える塾を開き生徒達に家に来てもらう事にしました。

 

 

海外で生まれた子・父の仕事の関係で海外に来られた子などが来られて学年関係無しに男女の垣根なんてそんなの関係無しにわいわいがやがやとやっていました。というのも、欧米社会で日本人の子供(アジア人全体を含む)が学校に行くとなんらかのいじめは受けてます。「こんなのたいしたことない」と思って乗り越えて今日があるので、男の子だから女の子だからなんてそんなやわなこといってたら欧米社会では生きて行けないからみんなたくましく育ってます。

 

 

授業風景は学校の勉強とは関係無く、現地校の勉強とも関係無く純粋に学習に取り組むんだから、そら楽しいわね!誰かが分からない問題があればわかる人達がみんなで説明してあれやこれやとディベートしてるんだから下の学年の子たちも興味を持って参加してきてわからんかったら周りに聞いて学習をすすめるんだから、何しろ理解するまで時間無制限なんだから勉強を遊びの一つとしてやっているから自然と優秀児に育って当たり前というものです。​

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