世界を旅して【台湾編】
- ゲキタイマン
- 2024年3月24日
- 読了時間: 4分
更新日:2024年4月16日
一番最初に訪れた国は「台湾」です。母の友人関係の家に泊めてもらって2ヵ月間滞在しました。ちょうどそこに同じ年の子がいたのでその子となかよくなるようにという配慮でずっと一緒に過ごすことになりました。家は4階建てだったので4回のフロアーを与えられて身振り手振りで話をして楽しみました。彼は「自分は頭良くないので日本語は覚えられないから、あなたに中国語を教えるからこれからは中国語で話をしようということを文字で書いて私に提案してきました。じゃあということで、私が中国語を覚えることにしました。まあ~ 熱心というか?しつこいというか?中国語を覚えるまで寝かせてくれませんでした。彼は友達が多かったので多くの友達のところに連れて行ってもらって一緒に遊んだり、おばさんがホテルを経営してるので空いている一室を使ってずっと遊んだりしてました。この2ヵ月間で毎日いろな人たちと連日遊んだり食事したりしてたので100人単位では済まないくらい多くの同年代の人達と遊んでました。まだ私たちは10代後半でしたから何をやっても面白い時期でした。このグループ達と真の友達になり、今でも台湾と我が家を行き来したりしています。後に知ったのですが、この家は財閥グループの家だったので知り合った人達も大人になったときにははみんな結構な人になってます。彼も父が亡くなった後を引き継いで無事に会社も潰さないでいまでもやっています。また日本人のビックリするような人物との交流もあるのでこの人たちに紹介してもらって大企業の社長さんなんかに会ってた時期もありました。このことがきっかけで台湾に行き来することが数十年続いています。その間台湾に会社を作り家も購入して住んだ時期もあります。今は観光としては日本人にはよくないイメージが持たれている龍山寺や華西街の寺や店の人達はほぼ全て知り合いであるし長いこと交流してます。ハッキリ言って目をつぶってても歩けるぐらい台湾人以上に歴史を知っていると思います。台湾のことを話せばきりがないくらい知っています。日本では「台湾有事」なんて騒いだりしてますが、台湾や中国をよく知ってる人たちから見たら「台湾有事」なんてありえないということは誰でもわかると思いますけど・・・アメリカがアジアにおいて存在する理由づけでやっているだけだと思っています。もう少しだけ書かせていただくと、李登輝の時代中国と激しく対立していてミサイルなども飛んできました。その時に私も台湾にいました。みんな心配してなかったですよ。また、台湾と中国の金門島や澎湖諸島での爆撃打ち合いは・・・これぞ中国というように「みんな安全ですよ」その当時先に述べた友人たちがそこに配属されて兵隊に行ってましたから、体験談をじかに聞いたからよくわかりました。中国がもっと文化レベルが高くなり、さらに豊かになれば台湾の方から中国に接近していきますよ。民進党はその間の繋ぎの役割だろうと考えてます。日本人が考える感覚ではこの間の間合いの取り方はわからないと思います。最初お世話になった家が凄かったのでこの家にやってくる人たちもだいたい国の指導層の人達や会社の経営者の方たちでした。同じテーブルで食事などをして話していて本当にたくさんのことを学ばせてもらいました。また、中国人のビジネスとはこのように考えるのだという思考経路も学ばせていただきました。日本ではめったにお目にかかれない方たちの名前も気軽に出てきたりしてたし、実際にその組織のトップを紹介してもらったときは、その日本企業のトップの方たちが出迎えてくれたのには腰をぬかしそうでした。何十年と台湾に行き来したりしてますが、その間日本人と会ったことは1度もありませんでした。完全に日本人の方がおられるところとは違う世界に住んでいたようです。ここでのビジネスの仕方や台湾人の物事の考え方や歴史などは授業で子供たちに話して聞かせています。中国人とビジネスするには中国人のビジネス方法や性格を学ばねば上手くいきません。日本のビジネス方法を持ち込んだら苦労します。というようなことを生徒たちと勉強しています。
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