実際にアメリカで生活して
- ゲキタイマン
- 2024年3月24日
- 読了時間: 3分
更新日:2024年4月16日

4月に現地に到着してすぐにSS取得や免許書やID取得それに銀行口座開設及び法人口座及び小切手申請と大忙しの日々が続きました。役所のある場所を聞いて分からないなりにも聞きながら手続きを終えました。
観光では何度も訪れていてある程度日本語も通じるしどうしてもというときは日本語で大丈夫!なんてかってに思っていましたが現地住民になって住んでみると、そこはもう別世界で全部英語でしかも日本語なんてまるっきり使われてないしそもそも日本人には出会わないところでした。
この状態で初めて「自分達は日本語が出来る観光スポット」にいて「そこが全ての世界」だと思っていたので・・・大きな大きな勘違いでした。
子供の学校探しで色々と現地の人に学校の状況や学校レベルや入学方法などを必死に聞きまわり、なんとかこのレベルの学校ならばという所が見つかり現地でゴルフ仲間として仲良くなった人にその学校の校長とじかに会うコンタクトを取ってもらいました。話し合いの結果2nd Gradeで 新学期(8月下旬)から始めるということになりました。また 放課後の担任の英語補習もお願いしました。
不思議なものでわからないなりに動き回ってるとどんどんと知り合いの和が増えてくるものですね。
実際に住んで生活してみれば「自分達は日本人観光客のいるエリアにはめったにいかなかったですね。」
次に車探しです。レンタカーを借りて道に並んでいる車を見て回り適当なものを買いました。
どんな手続きをするのかなぁと思っていたら、支払いを請求されて領収書とキーとオーナーシップ証明書を受け取って終わりです。そのまま乗って帰ってということでした。
ただし、家に帰るまでに役所に行ってオーナーチェンジ申請しといてくださいということでした。妻に買った車を乗ってもらって帰りました。
後に分かったことですが、車の修理や点検は各個人の責任でおこない便利な修理屋に持って行くというものでは無く必要な部品を自分で買い揃えて自分で修理するというのが当たり前らしい。タイヤの交換すら出来なかった我が家でも鍛えられて普通に出来るようになってました。何かあると警察官や店の店員や買い物に来てた見知らぬお客さんに聞きまくって実際にやってやり方を教えてくれなんて頼みまくって教えてもらいました。
みんなみんな本当に親切でした。日本に帰るまで嫌な思いをしたことはありませんでした。
アメリカ人は自分と関係無い事は「なんでもgreatなんか言ってそのあとすぐに自分の言ったことを忘れる」ということも分かったし「アイルビバック」は「さよなら」と同義語かな?ほとんど戻ってこないね。
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